建築・デザイン系

第11回 建築系ひとづくりフォーラム

2006年6月2日〜6月3日、岩手県気仙地域にて、第11回 建築系ひとづくりフォーラムが開催されました。


 第11回フォーラムは、「気仙大工」と呼ばれる集団の名で全国に知られた気仙地域での開催でした。

 この地域は、「気仙沼市」(宮城県)とよく間違えられますが、その北方の「旧気仙郡」(現在の大船渡市、陸前高田市、住田町)を中心とした岩手県南部の三陸側をさします。平地が少ないため、古来、山や海、出稼ぎ等で生計をなし、「砂金」「気仙杉」「気仙船」「気仙大工」等の名で全国に知られた地域でした。

 とりわけ、「気仙大工」と呼ばれる集団は、東北を中心に、北は北海道、樺太、満州から、南は関東、江戸、さらに西国まで、全国に足跡を残した一大職人集団でした。彼らは各地に流れる者も多かったが、一方、故郷に戻り、錦を飾るように多くの寺社や民家を建設し、大工、左官、彫刻、建具など多彩な技を競いあった特異な集団でもありました。

 今回は、仙台を起点に貸切バスをチャーターし、平泉、千厩、気仙沼を経由して、めったに見聞できない本拠の気仙地域を訪れました。


里とひとづくりをたずねて

■念願の気仙地域への旅

 以前から希望があがっていた気仙地域を、ようやく2006年6月に訪れることが出来た。今回は、前夜、東北・仙台にて建築・デザイン系専門部会の幹事会と編集委員会を開き、翌日より気仙をめぐる1泊2日のフォーラムを開催することしたものである。

 企画にあたって、初めて訪れる地ゆえに現地の多数の関係者と綿密な事前準備を行った。同時に、会員以外に一般やマスコミにも広くPRを行った。

 その結果、長野県飯田市と東京から一般参加者2名と、東京から建設系新聞記者1名が同行取材することとなった。移動は、交通不便な地であることから陸前高田の貸切バスをチャーターし、仙台を起点に遠路を往復することとした。

 事前に現地マスコミにもPRを行ったところ、早速、我々が訪問する旨の記事が、大船渡市にある地元新聞紙「東海新報」に掲載された。


1日目:6/2(土)

■一ノ関にて「中尊寺」を見学

 仙台から気仙に向かう途中、いくつかの場所を訪れることとした。一関市を経て平泉にまわり、著名な「中尊寺」を見学した。多くの遺産に触れるとともに、興味深い木造建物群や幻の平泉のまちに思いを馳せた。

◆中尊寺(平泉町)◆

▲金色堂(国宝) ▲鞘堂内の興味深い架構

■千厩町にてまちづくり施設を見学

 次に、途中にある千厩(せんまや)町のまちづくり施設を訪れた。古くから馬産地として栄え、千の厩(うまや)があったことによるとも言われる。

 建物は、旧横屋酒造の邸宅と酒蔵からなる。現在は「千厩まちづくり会社」が管理し、「千厩酒のくら交流施設」として、展示、コンサート、イベント等、まちづくり活動の拠点として様々な利用が行われている(国登録文化財)。

 当日は、一関市千厩支所の村上勝氏に案内していただいた。主屋は手間をかけた立派な造りであり、酒蔵群は展示やイベントホールとして活用されていた。

 この修復には多くの関係者の苦労があり、歴史遺産を動態保存として活かす試みに感銘を受けた。

◆千厩酒のくら交流施設◆
(旧横屋酒造、国登録文化財 千厩まちづくり(株)運営)(一関市千厩町)

▲旧佐藤家住宅・洋館 (明治 34) ▲けやき1枚板による両引き戸
▲和室欄間の透かし彫り ▲コンサートや演劇が可能な土蔵ホール

■気仙沼の歴史ある建物群を見学

 次に、漁港で著名な気仙沼市の湾岸地区を訪れた。事前に、この町の旧家の魅力の発見と調査保存活用に取り組まれている「風待ち(かざまち)研究会」の真山美知代氏に案内依頼をしておいた。「風待ち」とは、かって帆船が沖に出るために風を待っていたことに因み、気仙沼に新たな風をとの思いから名付けたとの由であった。

 押せ押せ行程となり到着が遅れたにもかかわらず、波止場には真山氏他メンバーの方々が待ち控えておられ、早速いくつかの建物を案内いただいた。

 湾岸通りには昭和初期のレトロな和洋建物や蔵が立ち並び、独特の景観を形作っている。個々の建物は変形敷地にあわせ、菱形平面の納まりや数寄屋風意匠など大変興味深い造りを成していた。

 訪問した各家の人々にも温かく応対していただき、深く感謝するとともに、町に融け込んだ研究会の日頃の手作りの活動の様子が大いに忍ばれた。

 その他、この会では、地域に多く残る「板倉小屋」の調査・活用策の提案や、一ノ関への酒蔵を結ぶ「黄金酒街道」など様々な活動を展開されているとのことである。

◆気仙沼・内湾地区の町並み(風待ち研究会による案内)◆

▲(株)角星店舗
(一見普通だが菱形敷地のため両妻面は非直角)
▲説明される真山美知代氏
(「風待ち研究会」代表)
▲武山米店(これも一見普通だが…) ▲2階は台形和室

■歴史ある陸前高田訓練校を訪問

 夕方、ようやく本拠の陸前高田市に入り、まず、伝統ある訓練校を訪れた。土曜のため授業はなかったが、校長の藤原出穂氏に案内いただいた。ふだんは現場等で働きながら、平日1日のみ登校、3年制の認定訓練校である。廃校となった小学校の木造校舎を利用し、各部屋には数多くの実習製作品が並べられていた。

 かつて高度成長期には数百人の訓練生がいた時期もあるが、今や「木造建築科」(3年制)は4名、「建築設計科」(2年制)は7名という補助基準の5名枠を割る状況とのこと。職人を取り巻く状況は厳しく、気仙大工3000人のうち跡継ぎがいるのは1〜2名だろうとの衝撃的な話もあった。

 しかし、「補助金がなくなろうとも、後継者は自前でも養成して行く」と話された校長の固い決意が、状況の深刻さを表していた。

◆陸前高田建築高等訓練校(陸前高田市 歴史ある認定訓練校)◆

▲廃校の小学校を利用 ▲藤原出穂校長の説明
▲訓練生の作品 ▲中堅大工の製作品
(地域独自の反り軒入母屋)

■建具名人の小泉木工所を訪ねる

 日も暮れる頃、著名な小泉勉氏が経営される建具木工所を訪ねた。氏は地元の気仙杉を使い、独自のひねり格子や緻密な格子模様等、独創的な作風で全国に知られる。職人の地位向上をめざす「SSF大賞」や「現代の名工」を受賞される一方、多くの優秀な弟子も育てられている。

 当日は療養中のため、弟子の方々に応対いただいた。全国建具展に出品前の大作や制作中の建具、小物サンプル等を見せていただいたが、独特の匠の技に大いに驚かされた。

 何より心強いのは、後継の中村社長、東京での修業帰りの細谷氏、ものつくり大OBの女性など、年代をつなぐように弟子が居ることである。一日も早い回復を願い、木工所を後にした。

◆小泉木工所(現代の名工・SSFものづくり大賞、小泉勉氏作業場)◆

▲全国建具展への出品作品 ▲小型作品(多彩な技巧を駆使)
▲後継の中村社長の説明
(小泉氏は療養中不在)
▲弟子の細谷氏と

■夜の懇親会で地元の方々と交流を深める

 その夜は、宿となる市内随一のホテルで、地元の方々と懇親を深めた。訓練校の藤原校長の他、明日お世話になる気仙大工研究家の平山憲治氏、訪問予定民家のご当主で市役所観光課の黄川田(きかわだ)次男氏、地元東海新報記者等をまじえ、地域や気仙職人の歴史、現況等を伺った。全国各地から参集した参加者の訪問に、現地の方々も大いに驚かれたようだった。

◆地元関係者との交流会(陸前高田市のホテルにて)◆

▲左より黄川田次男、平山憲治、藤原出穂の各氏 ▲全国参加者

2日目:6/3(日)

■翌日は地域に残る気仙大工の仕事を堪能

 翌日は抜けるような青空のもと、気仙研究第一人者の平山氏のガイドで、市内をまわった。氏は療養明けで体調十分ではなかったが、快くご協力いただいた。

 最初に、黄川田氏ご家族のご好意で、お住まいの「衣地(ころもじ)家」を見せていただいた。寺院のような豪壮な造りの農家で、気仙一の長大な桁行き、深い軒の「せがい造り」、巨大な瓦屋根と「反り軒」、妻側の「蓑甲(みのこう)付き入母屋」、内部の大型の仏壇や神棚など、地域の特徴をよく表し、気仙大工のこだわり芸が随所に伺われた。

◆衣地(ころもじ)家(以下全て陸前高田市)◆

▲長大な桁行きの豪壮な農家(明治 32) ▲せがい造り(桁持ち出し)
▲お寺のような反り屋根・蓑甲付き入母屋 ▲見学中の参加者

 その後、常膳寺の「千年杉」(姥杉、県指定天然記念物)を見学したが、その巨大さに圧倒された。途中、狭い山道でバスが回りきれず、溝にタイヤが落ちるトラブルも発生した。

◆常膳寺の千年杉(姥杉)(県指定天然記念物)◆

▲巨大な千年杉(推定千年以上) ▲トラブル発生

 次に、気仙の技を伝えるために建設された「気仙大工・左官伝承館」を訪れた。建物は新築だが、茅葺き屋根、大黒柱、丑持ち梁、広い土間など、明治初期の民家様式を伝える工夫がなされていた。離れには多数の道具を集めた「道具館」があり、平山氏の解説で古い道具類や板図など興味深い見学を行った。

◆気仙大工・左官伝承館◆

▲左:道具館 右:伝承館 ▲神棚と千石船復元模型
▲江戸期の古い図板を説明する平山氏

 その後、三重塔で著名な「普門寺」(県指定有形文化財)境内を訪れた。参道には大木の気仙杉が多数そびえる。本堂は多彩な彫刻で埋められ、大工から左官、建具、彫刻、船まで何でもこなす気仙大工の技量が伺われた。三重塔は小ぶりだが、各層毎に軒裏意匠が異なる独特のものである。

◆普門寺(県指定有形文化財)◆

▲普門寺本堂(内外に多彩な彫刻群) ▲三重塔(1809年)

 最後に、近年、平山氏が独自研究を進められている古代の「石舞台」(亀石)を見たあと、駅前の寿司屋(弟さんが経営)で昼食をとりながらゆっくり話を伺った。氏はその他にも、「気仙船」の復元(既に数艘復元)、「みちのく金山研究」など、精力的に地域研究を続けられているとのことであった。

◆平山氏のその他の独自研究◆

▲古代の石舞台(亀石) ▲みちのく金山研究(地元誌)

■気仙でのフォーラムを終えて

 気仙にはさらに多彩な建物や地域があるが、今回はここまでとなった。短時間の強行日程ではあったが、参加者は遠い気仙の地にはじめて足を踏み入れ、刺激的な旅に大いに満足して全国各地への帰路についた。

▲ガイドの平山憲治氏(中央)と全国からのフォーラム参加者

 フォーラム実施後、同行の山口記者が「日刊建設工業新聞」に「伝統の技、どう受け継ぐ?―気仙大工の里も後継者不足」と題する報告記事(2006/6/8付)を書かれた。気仙沼の地元新聞「三陸新報」には、「技術の高さに驚くー気仙沼内湾地区、職業教官や指導員が見学」(2006/6/6付)という記事が載り、風待ち研究会のブログにも報告が掲載されるなど、我々の訪問は地域に少なからぬ風を巻き起こしたようであった。

 主催側として、お世話になった現地関係者に心からの礼状を出した。当初予定していた「気仙大工建築研究事業協同組合」(事務局長:菅野照夫氏他)の協力は得られなかったが、今回の教訓として、見知らぬ土地を訪問する時は、礼儀を十分通して行うべきことを教えられた。

 訪問後の心残りは、これだけの伝統を築き上げた「気仙の未来」であった。そこで、我々の『実践教育ジャーナル』に、関係者による報告特集を組み、広く社会に発信してもらうことを、旅の帰路に仲間で話し合った。これらの企画をきっかけに、当地域と大都市圏、海外等との交流が活性化し、伝統を未来につなぐ様々な動きが生まれることを期待したいものである。

(秋山恒夫:職業能力開発総合大学校東京校)

 

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