建築・デザイン系 |
2004年9月29日〜10月1日、富山県大野町の「富山国際職藝学院」と石川県金沢市の「金沢職人大学校」にて、第9回 建築系ひとづくりフォーラムが開催されました。 ※ このページは、「金沢職人大学校」で行われたもののレポートです。
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伝統技術の継承と文化財の維持修復をめざす |
− 日本初の中堅技能者の継続教育のための |
■古都金沢の伝統を継承し、未来を拓く市民芸術村 |
2日目は、早朝、「井波彫刻」で有名な井波町に立ち寄り、門前町、瑞泉寺、彫刻館などを見学(報告は略)したあと、金沢市内にある「金沢職人大学校」を訪れた。 同校は、広大な「金沢市民芸術村」の一角にあり、「伝統」を継承する同校と、「未来」を拓く文化センターが広い公園をはさんで対面型に配置され、多くの市民によって利用されている。 〔2日目実施概要〕・日時:2004/10/2(土)午前 ・会場:「金沢職人大学校」(石川県金沢市大和町1-1) ・参加:計24名(一般参加7名+会員17名) ・対応:校側1名(窓口:千保哲男事務局長) ・取材:日刊建設通信新聞社(北陸支局松浦記者、記事掲載) |
■市主導で伝統の継承と文化財の修復をめざす | |||
同校は、1996年、関係者の熱い期待を集めて開校した。金沢は藩政期以来、職人技が独自の輝きを放って来たが、伝統的職人文化も技法の衰退、後継者の不足等厳しい状況にあることを憂い、金沢に残る伝統的で高度な職人技の伝承と人材を育成すると共に、資料の収集調査や文化財の修復等を通じ、匠の技への社会的評価、一般の理解を深めることを目的に開校された。 そのため訓練校でも専門学校でもなく、市出資による無制度の学校として開設された点に、地元の強い危機感と熱い姿勢が伺われよう。(運営は、市と9団体出資による「社団法人・金沢職人大学校)による)
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■中堅職人が先輩の熟練職人から学ぶ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全国には若者を対象に技能を基礎から教える学校は多数あるが、この学校の最大の特色は、中堅以上の職人を対象に、さらにその上級をめざす独自姿勢にあろう。同時に、社会の一線で仕事中の受講生のために、3年間授業料無料、夜間開講という配慮を行っている。 開講科は9科、計50名で、各分野の熟練講師(各科10名)が直接、受講生(各組合推薦)に伝統技を伝授するスタイルを取る。本科(研修科)は3年。受講生が在籍する期間は次の募集を行わないため3年間が1サイクルとなり、現在3期生50名が在籍中である。本科修了後は、ほとんどが上の修復専攻科3年に進むが、この科には職人の他、設計士、市の技師、大学の若手教員等も在籍し、異業種交流で活気あるという。 金沢職人大学校の教育課程
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■多様な文化財修復を実践 | ||||||||||||||||||||||||||||
開校後約10年を経て、多様な実績が芽生えつつある。 400年来の歴史を持つ市内文化財修復の場合、高齢職人でも経験ない分野があり、例えば「土間叩き」の復元では、講師・受講生が一緒に古文書や現存物を研究調査し、にがり(海水)や成分の配合を変えた試作品を多数作ってみるなど、試行錯誤しながら共に学んでいるという。 1期生は、修了記念として、江戸末期の武家屋敷と茶室「匠心庵」を復元修復した。土蔵の鏝絵や屋敷など各種文化財の調査、解体移築、耐震調査なども行って来た。 修了後は、グループ毎の研究会が発足しているが、人材活用のため、人材バンク制度や市発注工事への「市修復士」の活用奨励の支援策も行っているという。
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■大学校と広い市民芸術村を見学 | ||||||||||
当日はあいにく土曜午前で実習はなかったが、千保事務局長から概要説明を受けたあと、校内を案内してもらった。各科毎の実習場には、この間の多様な作品が置かれ、多忙な現役職人たちが時間の合間を縫って、伝統技の習得や研究に通って来る様子が伺われた。 引き続き、対面にある芸術村の文化センターゾーンを見学した。旧紡績倉庫群を見事に再生させた魅力的な空間とともに、市民ディレクター制による全く自由な市民利用の成果で、近年、新たな音楽や演劇文化が生まれつつあると聞き、市の独自姿勢に感銘を受けた。
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■充実した見学を終えて各地へ帰路に | ||
今回のフォーラムは、またもや過激な移動旅となったが、参加者はふだん見れない学校を実地見聞でき、充実した気分で各地へと散って行った。 両日とも、新聞社数社から取材があり、そのうち金沢での開催分が後日掲載された。
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(秋山恒夫:フォーラム企画担当) |
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