建築・デザイン系

建築系 地域情報 Vol. 21

 

福島市街巡り
- 県外者から見た福島市の魅力(その1) -

2012.11
中部職業能力開発促進センター 新島

 筆者は、2012年9月から10月にかけての1か月間余り、「震災復興支援訓練」の応援派遣として福島市に滞在した。

 週末、宿舎として充てられたホテルでの「軟禁状態」から飛び出し、徒歩で行ける範囲で福島市街を、9月に入っても中旬まで連日35℃を超える猛暑日の中、散策した。 

1. 古関裕而生誕地

 読者は「古関裕而(こせき ゆうじ)」という作曲家をご存じだろうか? 彼は福島市内で生まれ、福島駅東口(JR在来線側)には彼の生誕100年記念モニュメントが置かれている。(写真 1)

 福島駅東口からさらに東へ500mほど行った所に「古関裕而生誕記念碑」(写真 2)があるとホテル備え付けの地図には記されていたのだが、筆者はうっかりほかのものに目を奪われて見落としてしまい、100mほど通り過ぎてから引き返した。

写真1 古関裕而生誕100年記念モニュメント 写真2 市内にある古関裕而生誕地記念碑

 福島駅から北東へ直線距離で2.5km程のところには「古関裕而記念館」(写真 3)がある。

写真3 古関裕而記念館

  さて、この「小関裕而」という作曲家はどのような人物なのだろう?

 プロ野球の阪神タイガースファンは「♪六甲颪(おろし)に 颯爽と〜」と、読売ジャイアンツファンは「♪闘魂こめて 大空へ〜」とご贔屓のチームを応援しているのではないだろうか。 実はそれぞれの応援歌は両者とも古関裕而の作曲なのである。

 「プロ野球は興味がない」という方であっても、「高校野球」のテーマソング「♪〜ああ 栄冠は君に輝く」は口ずさんだことはあるまいか?

 プロ野球、高校野球、相撲などのNHKスポーツ中継番組の冒頭に流れる番組テーマソング「スポーツショー行進曲」も古関の作曲であり、リニューアルを繰り返しつつ現在も流されている。 となると、プロ野球の巨人VS阪神戦をNHKで放送すれば古関裕而作曲の音楽ばかりとなる。

 また1964年、アジアで初めて開催された「東京オリンピック」の開会式における選手の入場行進で演奏された「オリンピック・マーチ」やオリンピックの開会式における「オリンピック旗掲揚」、同じく閉会式での「同旗降納」時に演奏される「オリンピック賛歌」は古関の編曲でもある。

 古関の作品で珍しいところでは「♪モスラや!モスラ〜(モスラの歌)」、古いところでは戦時中の「♪若い血潮の予科練の 七つボタンは〜(若鷲の歌=予科練の歌)」などもあり、筆者の両親の世代(80歳前後)であれば「フランチェスカの鐘」「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」「君の名は」「高原列車は行く」などなど(記念館設置の試聴用CDより)。 私たちは古関が作曲した多くの音楽に今も接している。

 記念館2階には、古関の遺品、直筆の楽譜、レコードのほか、古関の書斎を再現したものが展示されている(撮影禁止のため、写真掲載ができない)。

 1階のサロンには、福島駅前に設置されているモニュメント(写真 1)の原型(写真 4)、古関愛用のハモンドオルガン(写真 5)が展示されており、筆者が記念館を訪れた時間帯には、年配の古関ファンが集い、古関の作品の演奏リクエストをして、このハモンドオルガン演奏を伴奏に各自自慢ののどを競っていた。

写真4 古関裕生誕記念モニュメントの原型 写真5 古関裕而愛用のハモンドオルガン

2. 福島県立美術館 & 図書館

 福島駅から北、直線距離で1.8km程の所に福島県立美術館図書館がある。 今回は美術館のみを訪れた(写真 6)。 設計は、どちらも大高建築設計事務所(大高正人)。 1984年開館。 

 美術館の大きなエントランスホールは、寄棟状の屋根の棟部に設けられたトップライトからの明るくも柔らかい光で照らされている(写真 7)。

写真6 福島県立美術館 写真7 福島県立美術館ホール
 

 ブック・ショップ・コーナーには、過去に当館で開催された展覧会の図録のバックナンバーが販売されており、中には超低価格(\500以下)で販売されているものもある。 展覧会の図録は、基本的に開催期間中のみの販売であるため、開催が終了してしまえば購入することができない。 すべてではないがバックナンバーとして図録が販売されているということは、美術ファンには歓迎されるのではないだろうか?

3. 旧堀切邸(飯坂温泉 内)

 私鉄福島交通福島駅から飯坂線で25分ほど(福島駅から北へ直線距離で10kmほど)のところに飯坂(いいざか)温泉がある(写真 8)。 福島市の、そして福島県の北端部に位置する。

 ここでは温泉街の中にある旧堀切邸(写真 9)を訪れた。

写真8 飯坂温泉駅 写真9 旧堀切邸表玄関
 

 堀切家は代々その財力を、飢饉などの自然災害支援に惜しみなく拠出するなどして地域経済発展に尽力した。 中でも印象的なのは、善次郎(1884 - 1979)が、関東大震災後、「復興局長官」に抜擢され、東京、横浜を復興させたことであった。

その2へ続く

 

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