建築・デザイン系 |
福島市街巡り - 県外者から見た福島市の魅力 (その2)- |
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2012.12 |
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その1からのつづき4. 片岡鶴太郎美術庭園飯坂温泉から一駅福島寄りに戻ると、俳優でもあり美術作家でもある片岡鶴太郎の作品のいくつかを集めた片岡鶴太郎美術庭園がある。 ここも館内撮影禁止のため、写真は外観のみを紹介する(写真 10)。 訪問当時、復興支援の一環として入館料が割引された。
片岡氏の作品を目にしたことのある読者は多いと思うが、失礼ながら筆者は片岡氏の作品の、独特なカタチのとらえ方や色遣いに、「俳優の片手間」という認識であったが、「ナマ」の作品に接して「誤った認識」を改めざるを得なかった。 「俳優でもあり美術作家でもある」のだ。 美術作品は、写真などではなく、「ナマ」で接しなければその良さを知ることはできない。 5. 御倉(おくら)邸福島市内、福島県庁近くに御倉(おくら)邸がある(写真 11)。 ここは旧日本銀行福島支店長役宅として昭和2年に建てられた、木造平屋建て、寄棟、瓦葺きの純和風建築である。
しかし文化財としての「保存」ではなく、「活用」として一般公開され、茶会や琴の演奏会など、研修施設としても利用されているため、一部にアルミサッシが使われていたり、トイレも水洗式で、人感センサーによって点灯する照明が備えられているので見学目的によっては興ざめすることもあろう。 6. 民家園福島駅東口から福島交通バスでおよそ25分。 「あづま総合運動公園」内に民家園という施設があり、江戸時代中期から明治時代中期にかけての県北地方の民家を中心に、芝居小屋、宿店、料亭、板倉、会津地方の民家等、「小屋」も含めて大小20棟ほどが移築復原されている(写真 12)。 ある建物の見学に向かう途中、どこからともなく煙のにおいが漂ってきた。 においの元はまさにこれから見学しようとしていた建物の中で、管理職員と思われる中年の女性が囲炉裏に火を起こしていた(写真 13)。 訊くと、日に3棟ずつ、燻蒸のために火を起こしているとのことである。 もちろん住民はいないし、季節に関係なく実施しているとのことである。
ついでに、各棟の入り口に掛けられてある、縄で結った「輪」(写真 14)について尋ねてみたが、「不正確なことを教えては来場者に迷惑になるので管理棟の職員に尋ねてほしい」とのことであった。 それで管理棟の職員に尋ねたところ、「茅の輪」といって厄除けと来場者の安全祈願のために地元住民が作っては定期的に交換しているとのこと。 また園内の木々に吊り下げられている、「山申やまもうす」と書かれた札がついている縄状のもの(写真 15)についても尋ねた。 これも山での作業(樹木の伐採、狩猟、キノコや薪用の小枝の採集など)のために山に入るときに、山の神様に「これから山に入りますよ! どうか安全に作業ができますように」と祈願する目的で山への入り口に掛けるもので、ここではやはり来場者の安全祈願のため、茅の輪と同じく地元の人が作っては掛け直すのだそうだ。
各棟を詳細にみると、先人たちが乏しい資材を使って、安全で快適な室内空間を作り出すための工夫が見て取れる。 現代の住宅に比べれば夏は暑く、冬は寒かったであろう。 しかし、各棟内部の佇まいから想像すると、家族や地域とのコミュニケーションも含めて、今よりもずっと「心が快適」な生活をしていたのかもしれない。 「快適」とは何か、「モノを大切にする」とはどういうことなのか、改めて考えさせられるひと時であった。 7. 震災の影響と復興の状況今回は福島市内のごく限られた範囲内しか巡っておらず、目にする市街地の商業施設、住宅などに震災の傷跡をを感じさせるものはほとんど見当たらなかった。 おそらく宮城や岩手ほどの大きな被害を受けなかったか、多くが修復をすでに完了したのであろう。 しかし、各施設間を移動する途中で見かけた公共施設(県歴史資料館、福島体育館など)や一部の観光施設(福島市写真美術館(「花の写真館」=秋山庄太郎作品の常設展示) )などは、修復中、もしくは修復未着手のために立ち入ることができなかったし、宮城、岩手、同じ福島県内でも放射線避難指定区域のものに比べて、棟数や規模は小さいながらも仮設住宅を見かけたときには心が痛んだ。 ホテルでのテレビニュースなどでは、福島では震災そのものよりも震災に伴って発生した原発事故のほうが深刻なようだ。 このあたりはどうしても県外者、出張という一時滞在者の目でしか見られないのだろうか。 福島に限らず被災地の一日も早い復興を祈るしかない。 ホテルに備えられていた募金箱に、雀の涙ほどではあるが「気持ち」を投入させていただいた。 追補: |