建築・デザイン系

建築系 地域情報 Vol. 15

 

解体か?存続か? 〜 名古屋テレビ塔

2011.9
中部職業能力開発促進センター 新島

 2011年7月24日のテレビの地上デジタル放送移行に伴い、名古屋名所のひとつであるテレビ塔の存続問題が表面化した。

 名古屋城の金の鯱とともに名古屋のシンボルでもあり、長年名古屋市民に親しまれているテレビ塔は、1954年(昭和29年)6月に日本初の集約電波塔として竣工した。 設計は、「耐震構造の父」とされる内藤多仲(ないとう たちゅう 1886-1970)。 高さは180m。地上90mのところに屋内展望台「スカイデッキ」が、地上100mには屋外展望台「スカイバルコニー」があり、若いカップルのデートスポットとしても親しまれている。 航空法規定前に完成などということから昼間障害としての赤白塗装ではなく、開業時から銀色塗装が施されている。

名古屋テレビ塔四景

 筆者の記憶では、前回このテレビ塔を訪れたのは、「ン十数年」くらい前だったと思う。 その時、地上100mの「スカイバルコニー」から地上30mのエレベータホールまで、落下防止用の金網しか設置されていない吹きさらしの屋外階段で「降りた」ことがある。 また、もっと幼かった時、映画「モスラ対コジラ」で、ゴジラによってテレビ塔が破壊されたのを観て、「テレビ塔は大丈夫なのか?」と真剣に心配したものだ。

地上90mの「スカイデッキ」から望む名古屋城
(北西方向)
地上100mの「スカイバルコニー」から
名古屋駅方面を望む(西方向)

 建設の際、「直下に地下鉄を通す」ことが許可条件にあったそうで、塔の脚部の埋め込み深さを浅くするために鉄筋コンクリート製のアーチに塔の脚部を結合させて重心を低くする「だるま式構造」という珍しい工法が採られた。 実際に1965年(昭和40年)開通の名古屋市営地下鉄「名城線」の一部がこのテレビ塔の真下を通っている。

「だるま」のアーチ 脚部に取り付けられているプレート

 開業以来2011年7月24日までの57年間にわたって在名放送局(NHK名古屋放送局(総合、教育)、中部日本放送、東海テレビ放送、名古屋テレビ放送)のVHF地上アナログ電波を送信していたが、地上テレビ電波のデジタル化により、同日送信を停止し、機材の電源も落とされ、ラジオ局や業務用無線のアンテナを設置していないため、電波塔としての役目は完全に終わった(デジタル波は名古屋に隣接する「瀬戸デジタルタワー」から発信中)。

 各局は順次機材の撤去を始めているが、運営する「名古屋テレビ塔株式会社」は、その収入の3割を占めていた4局からの施設賃貸料が得られなくなると赤字経営に転じてしまうため、アナログ機器撤去後のスペースを飲食店や物販にリニューアルする計画もあるが、事業費のうちの耐震改修費の15億円が民間での資金調達の限界を超えるとして、会社は公的資金投入を愛知県と名古屋市に求めている。 しかしどちらも公的資金の投入に難色を示しており計画が承認されないと「解体もありうる」という状況となってしまった。

 旧約聖書の「バベルの塔」をはじめ、人類は様々な「塔」を建設してきた。 パリのエッフェル塔も現在は電波塔にもなっているが、建設当初はそのような実用的なものではなかった。 人類はなぜ「塔」を建てるのか?「塔」に何を求めているのか?

 長年名古屋中心部のシンボルとして親しまれ、国の登録有形文化財にも登録されているテレビ塔が解体されてしまうと街の様子が一変してしまう。 個人的には存続してもらいたいと思う一方で、「歴史的価値」や「文化財」の御旗の元、何でもかんでも「保存」ということにも少なからず疑問を呈したくなるのは筆者だけであろうか?

余談ですが・・・
 名古屋テレビ塔は、集約電波塔として日本初であったばかりでなく、「日本ハグスポット100選」の第1号認定。 名古屋の民放局のうち、中部日本放送は、日本初の民放ラジオ放送を開始し、なおかつ民放で大相撲のラジオ中継を行なったのも日本初。 またテレビ塔直下を通っている名古屋市営地下鉄「名城線」は、2004年に環状化が完了し、地下鉄の環状運転としては日本初。 FM放送局「FM愛知」も、「企業としての」民放FM放送局として日本初、と名古屋にはいろいろな「日本初」があります。

「スカイデッキ」内の東西南北4ヶ所に設けられた
「ハグポイント」のひとつ

 名古屋テレビ塔の沿革など詳しいことは「名古屋テレビ塔株式会社」のホームページをご覧ください。

http://www.nagoya-tv-tower.co.jp/

 

▲ このページのTOPへ