建築・デザイン系 |
「吉野の杉を観よう」を合い言葉に、第3回木造研究部会が平成12年3月30日から日にかけて、16名が奈良県吉野郡に集まり開催された。
|
|
1.切り出した丸太材に感嘆の声の原木市場 | |
今回の研究部会はまず、吉野郡吉野町の原木市場の見学から始まった。 市場の事務所にて吉野木材協同組合連合会専務理事の阪本憲達氏から吉野林業の説明を受けた。 |
|
吉野杉は厳密にいえば、東吉野村、川上村、黒滝村の山林で育った杉をさす。 この地は人工林としては日本最古と考えられ、室町時代に植林をしたとの文献もあるとのこと。 吉野林業はその時代その時代に売れる木を人工的に工夫をしながら育ててきた。 特に目の混んだ、真っ直ぐの、節の無い、色の良い杉材が得ることができ、これが樽丸(酒樽材)として重宝されたが、現在は建築用材として出荷されている。 昭和55年頃が最も原木単価が高かったが、現在では昭和40年頃の単価に下がっている。 木は春から夏に切ると皮が剥きやすく、色が良くなるなどの知識を伝授された。
|
|
吉野林業の特色は以下の4点といえる。
吉野では、4寸角(3m)は60年生の間伐材であるが四国・九州では皆伐材で30年生である。強度の強い均一な材が供給できる反面、間伐材のため集材はヘリコプターを使用することなどからコスト高という問題点を抱えているのが現状である。
|
|
レクチャーの後、原木市場の見学となった。直前にせりが行われており、まだ原木が所狭しと集積された状態であった。 せりは年26回実施され全国から買付業者が集まって来るという。直径1m以上の巨木を見て一同感嘆の声をあげた。小口に記された符丁などを解説されてからは、立米当たり100万円以上の高級品から5万円程度の丸太材を見比べ、目が混んでいるの、色がいいのと素人鑑定会をあちこちで開催していた。 ヘリコプター集材には立米当たり2万円程度かかるとのことで、若年の間伐材(実習では高級品)は捨てられる運命にあるとのこと、担いで持って帰れるものなら持って帰りたいと思ったのは小生だけではなかったようだ。
|
2.香り立ち込める製品市場 | |
続いてお邪魔したのが吉野材振興センター。吉野林材振興協議会常務理事の丸山崇氏の案内で活性化センターと製品市場を見学した。 製品市場にはいると、檜や杉の香りがたちこめ、住宅の化粧材の柱材や、長押・まわり縁・竿縁・敷鴨居などの内法材が所狭しと立てかけられている。 せりは70人程度が参加して行われるとのことで、檜、杉、源平材(杉の赤白材)に分けて同時進行で入札が行われるとのことである。 超一級品の木材を目の前にして、一度でいいからこんな材料を加工してみたい、いや、我が家に使ってみたいとつぶやきながらも価格を見てあきらめた人は多かったのでは。といっても卸値、3.5寸角四方無節の柱材で3.5万円程度。個人でも買付ることができるとのこと、これから新築する方は材料から吟味してはいかがでしょう。
|
3.熱のこもった研究討議会 | |
この会の目的である自主的な会員相互の報告による研究討議会を実施した。 今回は原木市場、製品市場で全員の足が止まった結果、当初予定していた時間をかなり超過し、今回の研究会は短期決戦の様相となったが、短時間に4件の報告がなされ、これに対しての質疑や意見交換が熱心になされた。
|
|
研究報告討議内容は、次の4点である。
なお、次回の開催は、四国地方で時期を夏休みと決め、四国の木造建築物の構工法についての研究会とした。
|
4.盛り上がった懇親会 | |
研究討議会を終えて休む間もなく懇親会に入った。川上森林組合専務理事の南本泰男氏、川上さぷりの会(川上産吉野材販売促進協同組合)の岡本健一氏、松尾光泰氏の三人に同席いただいた。 吉野林業の歴史から始まり、今日の様々な問題や後継者育成、吉野材の新商品化と販路、吉野杉への思い入れなどを、杯を酌み交わしながら本音の話に耳を傾けた。 一方で、今回も初参加者や遠方からの参加者があり、お互いの近況も含めて多岐にわたっての談義の輪があちこちに広がった。また、女性3名の参加がありお互いの職場での悩みや指導法など夜遅くまで語りあったようである。 2時間半ほどの時間はあっという間に過ぎ、明朝の登山に向けて夜更かし、飲み過ぎを諫めましたが、どうだったでしょうか。
|
5.圧倒された400年生杉 | |
2日目、今回の研究会の最終目的である吉野人工林の400年生杉の見学。眠い目をこすりながら午前8時半、川上村森林組合の事務所に集合した。昨夜の親睦会に同席いただいた南本氏から吉野杉の事前知識のレクチャーを受けた。 川上村(吉野杉)の山林は大半が民有林であり、豊臣秀吉の天領から民有林に移行している。吉野林業独特の制度である「借地林業制度」と「山守制度」の説明がなされた。
|
|
a)借地林業制度 |
|
借地林業制度は土地の賃貸契約制度で、村の山林所有者が村外の資本家に山林(土地)を貸して植林資金を出してもらい、木を伐って収入があがったときに借地料として収入の何%かを受け取る契約を交わす。つまり、土地の所有権(地権)者は村の人、土地使用権者は村外の資本家になる。借地林業制度は江戸時代前期に始められたとされている。この制度の導入とともに村外の資本家の力によって木材の販売路は拡大し、吉野林業は発展していきた。
|
|
b)山守(ヤマモリ)制度 |
|
借地林業制度が発達すると、資本家は土地所有権を購入して山主(カマヌシ)になる。しかし山主になった資本家は村外に住むため、直接山林を管理できない。そこで、村人で信頼がおけ、自らも山林を所有し林業経営の経験者に、山林管理を依頼する。この山林管理制度が山守制度である。山守は山主の代理となって、山林労働者(そまびと)を雇い入れて育林に当たる。山守には伐った木の売上高の5%が山主から支払われる仕組みとなっている。 山林労働者は、昭和40年頃から後継者不足になり、現在130人位となり平均年齢も60歳を越えている。最盛期には1,000人もいたとか。人手不足からヘリコプター集材、高年齢から乗用モノレールでの山林内の移動と近代化を進めている。しかしながら木材の値崩れにより皆伐(最終伐採)が行われない。この結果、植裁工事がなくなり、下刈りやつる切り、枝打ちの仕事も少なくなり、働き場所が減っている現実もある。仕事確保と後継者育成の両面に苦慮しているところである、などの説明を受けた。
|
さあ、最終目的の400年生杉を観るための山登りである。川上村役場の横谷さんに案内され、下多古村有林へと向かった。この村有林は、平成6年当時は民有林で競売計画が持ち上る。全国で最古の人工林と考えられることから保存計画がなされ、村の財産として取得したものである。1時間弱の山登りの行程中、木に印された文字での山林所有者の境界、間伐時期の見分け方、山主と山守での間伐相談方法などを聞きながら、見事な杉林の中を息も絶え絶えになりながら分け入った。横谷さんの家も父親までは山主であり山守である。しかし横谷さんは山守でなく将来は誰かに山守を頼むことになるだろうとの話もあった。
|
||
やがて、村有林に到着である。谷間の一角4,000u弱に杉の380年生が3本、280年生が7本、そして檜の280年生が52本、江戸時代に植林され全国的に見ても人工林としては最も古い部類にはいる。最も古い杉は幹廻り515cm、高さは約50mである。といわれても周囲は100年生以上の杉・檜ばかり。大きいという実感は湧いてこない。写真を撮っても比較物が無いとよくわからないと、会員に近くへ立ってもらって一同あんぐり。やっとその巨大さに気づき、全員が一目散に谷へと駆け下りた。しばし、その木々に触れ、見上げ、ただただ驚嘆の声ばかり。持参したおにぎりを巨木の下でほおばりながら、先人の時代を超えて語りかけてくる声を聞いたような一時を過ごした。
|
||
下山途中で緊張感が解けたか、杉花粉症の二人がくしゃみと涙の世界に入っていった。今回、多数の人から花粉症だから参加できないとの声があったが、これが今回の反省点。実は花粉症患者の一人が小生である。 このあと、川上村林業資料館のもくもく館を訪問し、再度吉野杉の知識吸収を行って、解散となった。実に強行軍、しかし得たもの400年生杉にも当てはまるほど膨大。全員満足の笑みで帰路についた。 次回は、四国地方で夏頃開催を予定しています。詳細が決まり次第案内をしますので多数参加下さい。
|