建築・デザイン系 |
2000年7月7日〜8日、静岡県富士宮市の「日本建築専門学校」と「冨士教育訓練センター」にて、第3回 建築系ひとづくりフォーラムが開催されました。 ※ このページは、「日本建築専門学校」で行われたもののレポートです。
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雄大な富士山の麓で、
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− 4年間をかけ、独自教育に挑む「日本建築専門学校」 − |
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■全国から多彩な参加者が集う |
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第3回フォーラムは、1泊2日の日程で、静岡県富士宮市にある「日本建築専門学校」と「富士教育訓練センター」を会場として開催された。今回から初の地方開催となるため参加者は少なめだったが、遙か北海道から四国まで多彩な参加があった(東洋大院生1名も)。一行は、富士宮駅から車に分乗し、雄大な姿をみせる富士山の麓へと向かった。 両施設の養成目的は異なるものの、熱心な指導姿勢と独自の教育方法は、参加者に深い感銘を与えた。麓の町から孤絶した高原で逞しく学ぶ若者たち、各会場での活発な質疑、富士教育訓練センター・研修寮での深夜までの白熱した議論交流など、忘れられない刺激的な旅となった。 |
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・期日: |
2000/7/7(金)〜8(土)(1泊2日) |
・会場: |
(1日目)「日本建築専門学校」静岡県富士宮市上井出2730-5 |
・参加者: |
19名(一般参加9名、会員10名) |
・施設側: |
7名(菊池光起前理事長、渡邉益男校長、山崎武副校長、石川雄一事務長、戸田征一建築学科主任、建部恭宣教授、外岡信乃夫実習指導者) |
■本格的な木造教育をめざす4年制専門学校 |
1日目に訪問した「日本建築専門学校」は、1987年、宮大工棟梁の故・菊池安治氏(木造住宅業の「菊池建設」)が、「設計から施工まで担える素養豊かな木造技術者の育成」を理念に、当時珍しい木造専門の4年制専門学校として開設された。(運営は「学校法人・富嶽学園」、全寮制) 菊池氏は早く逝去されたが、遺志を継いで10余年、多くの有能な若者を送り出して来た。OBは、職人・工務店、事務所、ゼネコン、文化財保護など、各界で活躍中という。 1学年は約40名と少数(4学年で160名)。全寮制による全人的教育をめざし、文化素養も重視している。学生は地元が過半だが、全国からの若者も多いという。 |
■木の香りが漂う木造校舎、眼を見張る卒業製作品 |
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訪問してまず驚くのは、校舎群すべてが独自に建設された「木造校舎」であることだろう。教室棟、製図棟、実習場、学生寮すべてが木の香りにあふれ、うらやましい限り。 校内は、様々な模型作品や独自工夫された学習教材があふれ、木造系の学校という雰囲気が満ちている。 |
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2階には卒業作品室が設けられ、所狭しと過去の力作が並んでいる。特にこの学校では、通常の学校では取り組めない「伝統木造」に関する調査や研究、模型製作などを積極奨励している。通常の訓練校等とは異なり、木造のみに4年間浸れるゆとりがうらやましく思われた。 |
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■広い実習場で、多様な木造学習に挑戦 |
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広大な実習場では、道具作り、刻み、墨付け、建て方、規矩術などの基本技術を練習するが、意外に実習時間は取れないらしい。しかし、時間外の使用も可能なので、やる気のある学生は自主的に様々な練習・製作に挑戦している。 |
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卒業研究で製作を選んだ学生は、ここで様々な実大製作に挑む。外部には、多様な小建物が並び、池には独自工夫の木橋も建設された。校内のみならず、バス停、山荘、鎮守の社、民家など、手応えを求めて地域での実践も多い。 |
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学生の動機付けのための競技も考案し、近年は「木造耐力壁競技」(ジャパンカップ)を全国規模で開始している。さらに今後は、技能五輪大会にも有志が挑戦と聞く。 |
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■「かせげる能力」の育成を − 交流討議から |
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学校関係者との意見交換では、運営実態に関する多様な質問が飛び交った。 教員体制は、常勤7名、非常勤あわせると約35名。学生は方向転換組もあり、卒業は約8割。3年次から選択コース制となり、進路は、設計・歴史、現場監督、職人・大工が約1/3ずつ。 社会の中に学校が出て行き、社会評価を得るよう頑張りたい。教育の社会還元や、学生の動機付け、卒業研究テーマの受け入れ等のために、「木造研究所」構想を持っている。 技術者として、「独立心」、「かせげる能力」(お金の計算が出来る、人が使える)が重要で、経営基礎、建設簿記、積算等も教えている、との話が印象的であった。 |
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(過去の関連記事:「実践ジャーナル」誌1998/3号(建築系通巻14号)参照) |
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(秋山恒夫:フォーラム企画担当) |
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