建築・デザイン系

建築系 地域情報 Vol. 18

 

南極観測船「宗谷」のプロペラ

2012.2
ジャーナル編集委員 早藤

 昨年(2011年)10月からTBSドラマ「南極大陸」が放映されました。 木村拓哉さん主演です。 キムタクはかっこいいですが、それよりも私が心を奪われたのは南極観測船の「宗谷」でした。 「宗谷」見たさに毎週見ました、「南極大陸」。

 ところで、家の近所に海技大学校(兵庫県芦屋市)があります。 ここは海や船について学べる学校です。 正門を入ってすぐの場所に大きな船のプロペラが置かれています。

写真1(正門からみたプロペラ)

 近づいて見てみましょう。

写真2(近づいてみる)

 プレートにはこう書かれています。「南極観測船”宗谷”のプロペラ」

写真3(プロペラについているプレート)

 さて、ドラマに話を戻すと、第7話まで進み佳境に入った時、南極観測船「宗谷」は氷に囲まれ身動きがとれなくなってしまいます。 そして密群氷を航海中に、なんと左プロペラの翼の1枚を破損してしまったと船長が言うではありませんか。

 「え・・・?破損て一体どの程度なのだ?」と気になった私は、自転車に乗り急いで海技大学校へ向かいました。

 それから、プロペラの翼を1枚1枚チェックしました。

写真4(プロペラの裏に回ってみる)

 プロペラの後ろに潜って目視確認したところ、これか?と思われる傷を発見です。

写真5(ちょっとしたキズを確認)

 ところが、実はプロペラの破損はこんなものではなかったのです。

 皆さんご存知の通り「宗谷」は、現在東京都品川区の船の科学館に保存・展示されています。船の科学館の資料ガイドを見ると、翼の1枚を折ってしまったプロペラの写真が載っています。

写真6(船の科学館資料ガイド3より)

 よく見るとこの写真のプロペラは、海技大学校にあるそれとちょっと違います。

 海技大学校のプロペラは

  1. 翼を固定するボルトがむき出しになっている
  2. 翼の厚さが薄いようだ
  3. 翼の傾きが大きいように見える

などが違うと思われる点です。

 船の科学館に保存されている「宗谷」には、昭和53年まで働いていた時の最後のプロペラが取り外され展示されています。

写真7(最後のプロペラ)

 実際に見て比較すると、最後のプロペラよりも海技大学校のそれは大きいです。

 そこで、船の科学館学芸員の方に海技大学校のプロペラの写真を見てもらい話を聞きました。

  1. 海技大学校のプロペラの翼は非常に薄くシャープであることから通常の船のものである
  2. 南極観測船となった「宗谷」の翼は鋳鋼製の肉厚でエッジも丸みが強い
  3. 海技大学校のプロペラは1軸なので直径も4.22mと少し大きい。南極観測船の「宗谷」は2軸で直径は2.95mである(2軸とは写真8の模型が示すようにプロペラが2つあること)

とのことでした。

写真8(宗谷の模型)

 「宗谷」は奇跡の船と呼ばれています。

 それは初めて南極観測を成功に導いたからという理由だけではありません。

 「宗谷」の歴史は昭和11年にソ連からの発注で建造されたことから始まります。 その後、日本海軍の特務艦(直接戦闘には参加しないが作戦の支援をする船のことで、「宗谷」は音響測深ができるので測量をしていた)となります。 戦争中は魚雷や空襲をうけるも、不発弾だったり難を逃れ無事に任務を果たし生き残ります。

 戦争後は引き揚げ船、灯台補給船として働きました。 そして昭和31年、南極観測船として大きな改造工事が行われ、その時プロペラが2軸になりました。

 第6次南極観測が終わると昭和37年から53年まで巡視船として働きます。

 学芸員の方の話によると、海技大学校のプロペラは昭和27年製造と記されており灯台補給船となった後、昭和27年にも「宗谷」の改造工事が行われているのでその頃「宗谷」についていたものではないか、とのことでした。

 その歴史を知ると「宗谷」は守られている船だと感じます。 それは「宗谷」を造った人たちの心を込めた思いや、皆の気持ちが1つになった時生じるエネルギーや、大切にしたいとふれる手から伝わる何かが守るのかもしれません。

 「宗谷」はそんなパワーを感じずにはいられない船です。

写真9(「宗谷」向こう側は青函連絡船だった羊蹄丸)

 

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