建築・デザイン系 |
泉福寺仏殿(大分県国東市) | ||||||||
2011.3 |
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泉福寺は大分県の北東部、国東半島の東部、国東市を流れる田深川(支流である横手川沿い)の上流8kmほどの地点に位置する曹洞宗寺院である。 歴史的には永和元年(1375年)に国東郷総地頭であった田原氏能(たはら うじよし)の母・無伝尼公が発願し、無著妙融(むちゃく みょうゆう)を招いて開山し、曹洞宗の九州の進出の拠点となった寺院と位置づけられている。
大雄殿とも呼ばれる仏殿は大分県の重要文化財と指定され、中世の九州における唯一の禅宗様の重要な遺構である。方三間裳階付で桁行、梁間とも24.5尺(7.424m)で背面に4尺間の突出部が取り付いている。内部は正面中央寄り柱上組物と来迎柱を結ぶ虹梁が架かり、前方では大瓶束を立て、台輪と木鼻付頭貫によって来迎柱とつながれている(梁間断面図参照)。
仏殿の東側には覆堂(さやどう)に覆われた開基の無著像を有す国重要文化財の開山堂が存立している。 平成20年に保存修理工事を終え、内部の来迎柱の前方の須弥壇と入母屋の茅葺屋根が復原され、仏殿の存在を際立たせている。 また、彼の地はかつての国東半島の郡衙行政の中心地であり、三方を小山に囲まれ南に横手川が流れる蔵風得水の地であり、いにしえの栄華を今に伝えている。
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