北陸大会の会場となる魚津という町について紹介します。魚津という町の名称は、魚がよくとれるところから名づけられました。次に、この地域に古くから人が住み着いていた証拠として、「縄文遺跡」が散在しています。以前、国道8号線魚津バイパスを建設する際に、遺跡が出土したため、建設作業が一時中断されました。また、廃藩置県の後、新川県が設置され、その県庁所在地がここ魚津に設置されていました。
魚津の見所として、「埋没林」は1930(昭和5)年魚津港の改修の際に発見され、特別天然記念物に指定されています。これは文字通り“埋もれた林”で、縄文末期に原生林が沈降したもので、過去の環境を推定する貴重なものです。さらに、雪解けが始まる3月下旬頃、「蜃気楼」を映像に収めようと、メディア関連の会社や愛好家達が魚津の港を訪れます。これは北アルプスから流れる冷たい水流が、早月川・角川・片貝川・布施川となってこの町を貫流し、海水との水温差によって発生するそうです。越中の国守であった、歌人大伴家持も早月川・片貝川を詠んでいます。また、この頃、神秘的な光を放つホタルイカ漁(3月〜5月)が始まります。学生時代に歴史の授業で、学習した会員の方々もおられると思いますが、魚津は「米騒動」の発端の地であります。これは、その年の米価の高騰と北洋出漁の不漁が重なり、家計のやりくりに苦労した漁師の妻たち中心となりが決起したものです。
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